シンガポール遠征 2日目。
今回は、松崎幹尚(神奈川)とサシで来ています。
予選のリストでシンガポール入りましたが、今日の予選のサインを終え、本戦に繰り上がりました。
これで、あと2日間、練習で確認出来るのはラッキーです。
そして今日。
元ミヤンマーデ杯プレーヤーと再会しました。
幹尚との練習コートにいて、突然声を掛けられたのでした。
2005年。
僕は、ミヤンマー政府から、ホスト開催されるデ杯の監督権限コーチとして、緊急でオファーを受けました。
テニスの場合、外国人が監督にはなれないルールがあります。
その中で、監督権限と言うのは、破格な条件であったと言えます。
しかし、開催半年前のオファーの意味は、世界ランク最下位のミヤンマーが、ホスト国であり、国民の前で負けた時の責任を誰が持つのかで、急きょ、外国人であり、アジアで活動をしていた僕に白羽の矢がたった事を、契約の手前で関係者から聞きました。
まだ、スチーさんが軟禁されている時代。
やめた方がいいとアドバイスをもらいました。
しかし、代表プレーヤー達と一緒にいると、なぜか負ける気がしなかったのでオファーを受けたのです。
大会結果。
前半全敗。
TVや新聞での、バッシングは、ホントすごかった。
しかし、折り返して後半戦。
なんと信じられない全勝。
こんなドラマティックな1週間でグループ3位をマーク。
国別の世界ランク117位から110位にジャンプしました。
彼は、その時の代表シングルスNo1プレーヤーです。
勝つための努力や、悔し涙、うれし涙を見せてくれた、僕が知っているミヤンマー最高の代表プレーヤーです。
そして、彼は今、シンガポールテニス協会でコーチをしています。
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